大江健三郎の初期文学に見えるアメリカのイメージは、暴力的な占領者として描かれており、対米従属的な戦後日本の占領体制下の現実を喚起している。また性的不能状態に陥っている無気力で傍観者的な日本人の内面的な閉鎖状態は〈監禁状態〉に主題化されている。アメリカを占領者と見なすことは、戦後日本を〈敗戦〉の視点から捉えることを意味する。屈辱感と羞恥心をもたらす〈敗戦〉に対する認識は、支配者で暴力的な性的優越者としてのアメリカに表象されているが、これは同時に占領体制という現実を直視することで内面的な閉鎖状態から抜け出す自己認識の自覚と新しい変格の可能性をも意味する。
戦後日本人の自己欺瞞的な現実認識は、恐怖と嫌悪の対象としての黒人と、憧憬の対象としての白人に分絶されているアメリカ認識としても現れている。このような黒․白のモチーフは、近代文明論的な世界観に基づく近代日本の自己規定と、その延長線上にある戦後日本の自己認識の矛盾を露呈する。大江の初期文学に見える占領者としてのアメリカは、白人中心の西欧文明の頂点を象徴している意味で〈外国〉と同義語で表現されており、このことはアメリカによる占領体制が戦後日本だけの問題にとどまるのではなく、近代世界全体を包括する同時代的な時代像であることを示している。
大江は、〈敗戦〉という占領状態と〈終戦〉という自己傍観の間をさまよう戦後日本の二重的な自己認識が〈監禁状態〉という内面的な閉鎖状態をもたらしたと見なしたのである。暴力的な性的支配者として表象されるアメリカは、自己欺瞞に陥っている〈監禁状態〉の日本人に現実を喚起させる強力なモチーフとして機能していると言えよう。