韓國の漢文讀法は構文理解を志向し、非常に制限された釋讀法を表しており、原漢文をできる限り維持する姿が窺える。これに比べて、日本の訓讀法は漢字漢文に頼りながら可能限り 逐字的に読み下だすのが一般的である。このように兩國の漢文読法の性格が異なる点は記入している表記方法とも関連すると考えられる。
韓國の釋讀法が理想的な漢文讀法の表記形態とはいえない符號のみを使用している点、 文字と符号を日本の訓読法のように混用していない点などを可能にしたのは、構文理解を中心とする釋讀法であったためであると考えられる。韓國の角筆點吐釋讀口訣においては動詞や名詞などの語彙の記入が非常に少ないのに対して、文法形態素を詳しく記入する方針は、文字と符號を混用する複雑な表記體系が切實に必要としなかったかも知れない。このような点を裏付けるのが日本で發見されたヲコト中心の漢籍資料である。
「春秋經伝集解卷第二」と「世說新書卷第六」において表われる訓讀法として、文法形態素を詳しく表記するのに対して、一般的な語彙はほとんど表われない表記形態は構文理解を 中心とする訓讀法である。これは逐字的な訓讀法を志向している日本の一般的な訓點資料の 訓讀法とは非常に異なり、韓國の角筆點吐釋讀口訣において表われる釋讀法との類似性を窺うことができる。このような漢文讀法は日本において一般的に表われる逐字的な訓讀法の前段階で、漢字漢文が中心となる構文理解の釋讀法が韓國と日本において行われたことは韓日漢文釋讀法の發達過程に多くの示唆点を投げかけている。