本論文は太宰と西鶴との関わりを「義理」と「死なば同じ浪枕とや」との比較研究を中心にして考察したものである。近代における西鶴受容は、新しい文学の創造を模索しつつあった明治の作家によってであった。太宰は戦時中において<ユウモレスクなるもの。ナンセンスの美しさ>を持つ文学を西鶴物に求められたものであると言える。
西鶴の「死なば同じ浪枕とや」における<義理>は<武士の義理>を語り、庶民の生き方とは違った武士の生き方に対する一種の賛嘆を描いている。柴田純が言及したところ、近世武士たちの多様な動向のなかで、武士としての義理や治者としての責任意識を内面化させることによって、近世武士としての自己の生を主体的に生きようとした一例が窺うことができた。
反面、太宰の「義理」における<義理>は、丹三郎の<無責任な言葉>によって秀才勝太郎の死を一層惜しませる<悲喜劇の擦れ違い>を読み取らせる。また、小泉浩一郎の指摘のように若殿の無謀かつ非合理な行為と、そんな暴君に対する阿諛追従のみをこととする佞臣丹三郎のために勝太郎を死なせたのがさすが式部の武士としての義理で正しいことなのか、こういう問いは太宰の戦争という現実をもじる批評として見られる。したがって、太宰の作家的背景と結び付けて考えてみたとき、翻案作「義理」はイデオロギーを通した太宰の時代批評なのである。