本稿では、日帝植民時期の親日的執筆活動により、祖国に帰国できず日本に帰化した張赫宙(野口赫宙)の生活と文学を考察し、その意義と問題点を論じた。特に、日帝の敗戦以後発表された作品の分析と整理に重点を置き、その内容と作家的行跡の比較․検討を通じて、張赫宙の文学と生活に対する巨視的な評価基準の確保に努めた。
日本に帰化した後の張赫宙は、朝鮮出身作家としての希少性を生かした作品の執筆に力を入れたが、作家自身の女性遍歴にかかわる家族史を描いた自伝的作品を量産したり、韓日間の親密な歴史的交流と民族的同質性を強調することで、日帝の朝鮮支配の正当化を試みた。
このような日本敗戦後の張赫宙の文学は、帰化した作家としての苦労を吐露したり、生活のための執筆に終始しただけに、人間の存在に対する真剣な探究という作家的理想とは隔たりがあり、むしろ彼の家族及びて彼の属していた祖国と民族は深く傷つけられることになったのである。