鉄道省が発行した『溫泉案內』が鉄道路線沿いの温泉場を旅行の対象地として宣伝し始めた1920年代になると、温泉場を対象として日本の風景を描き出した文人たちによる温泉紀行文が眼立つようになった。その中でも『全国の温泉案内』(1920)は、本文の下段に温泉場の情報を載せ、上段に田山花袋․高山樗牛․尾崎紅葉․幸田露伴․志賀重昂․小島烏水など、36文人による50編の温泉紀行文を掲載している。
全国の温泉場を地方別に分類し、旅行の宿泊と交通移動のルーツの拠点として旅行客にそのモデルを提供しようとしている『全国の温泉案内』は、温泉紀行文を通して日本の自然空間を疑似体験させることで、大衆に日本という空間を規範化させた。地形学的な同質性が強調され、そこに風景という美的価値が与えられた温泉場は、伝統的な湯治の文化から日本というネーションの歴史性と空間的な均質性を象徴する場所に変容されていったのである。
『全国の温泉案内』に温泉紀行文を載せている志賀重昂は、自然の内部に入って、より立体的で事実的な風景を描き出すことを力説している。その他の温泉紀行文も温泉場を旅程の拠点として、名所図会の視線から脱し、雲·雪·風·霧·植物·色彩など、風景画のごとく視覚的な遠近法を活用しながら、パノラマ的な風景として発見し、そこに自己を重ねていく。視覚的な遠近法によるパノラマ的な風景の成立は、それまで自覚してこなかった空間を意識化させ、均質空間の把握と観察する自己の位置をも覚醒させる空間感覚の変容につながった。温泉場は近代的な空間感覚の変容を象徴する場所として、日本という空間を風景という意識のレベルで発見·規範化し、そこに近代的な自己を心像空間化していたのである。