本稿は、日本移動演劇連盟の組織や政策、劇団の活動内容を検証することにより、戦時体制の下で新劇が国策のプロパガンダ─の問題にどのように抵抗し、あるいはどのように協力したのかを考察した。戦時体制下で完全に政府の主導で結成され、その活動が展開された「移動演劇」は、その目的の面においてそのほとんどが国策に寄与するものであったことは間違いない。
しかしながら、もう一つの側面からこれまで芝居に接したことのできなかった「内地」の山間僻地の小さな村の住民たちと、戦場の兵士たち、また「外地」に住んでいる植民者たちにいたるまでいわゆる「国民」の範囲において演劇を体験できる稀な機会を提供したという点において新劇の「大衆化」に寄与したとも評価できよう。しかしながら少数のエリートのもの、または「内地」の演劇にすぎなかった新劇は、戦時体制の下に「国民文化」として外地を含める「帝国」のカテゴリーにおいて展開していったという点を指摘せざるをえない。