可能表現が表す意味といえば、能力の意味、可能の意味が典型的なものである。しかし、日·韓·中三カ国語には「できる」、「-만하다」、「可以」という可能の形式で価値の意味を表すものがある。
本稿では、三カ国語の可能形式が価値の意味を表す場合の条件、三カ国語の相違点、典型的な可能表現との関わりに注目し、可能表現における価値の意味の位置づけを試みた。日本語の価値の可能は主体や述語の動詞に制約があり、なおかつ有題文で、副詞或いは連体修飾語と共起するという構文特徴が見られた。しかし、韓国語と中国語には主体、述語の動詞の制約がなく、副詞または連帯修飾語との共起も価値の意味を表す絶対条件ではない。
日本語の価値の可能は、主体の能力に評価を加えることにより、能力の意味から価値の意味への意味的拡張が行われていた。また、三カ国とも外的条件からある動作を実現する価値があるという意味を表す。これは典型的な可能表現と同じく実現の如何を問題にしているもので、可能表現に位置づけることができるといえる。