本稿では近代國民國家の形成と雛祭りを女子敎育を中心として考察した。
國民國家の形成とともに國民は國家の臣民として從屬され、家庭も家制度で從屬されるメカニズムを持つようになる。このような社会システムと雛人形の大量生産が明治時代の雛祭りに導入され、女子敎育の有效なる手段で新たに創出される。
天皇中心の史觀である神功皇后を雛祭りの基源として説明する言説、雛壇の内裏雛に対する敬畏心、國體論との関係を通じて雛祭りの持つ意味、學校の歷史敎育で雛祭りを活用しなければならないという主張等、當時の國民國家建設のイデオロギーが溶け込んでいる雛祭りの言説は江戸時代とは全く異なる新しい雛祭りの樣相を現わしている。
また、軍國主義が激しくなった1930年代に入っては日本と植民地朝鮮でも共通的に行われた雛人形の歡送會および歡迎會を通じて國家主導の雛の産業が行われたことがわかる。帝国の高位官僚、總督婦人をはじめ、朝鮮の高位官僚と王妃の外祖母まで参加した大々的な行事は女學生の敎育に直・間接的な影響を及ぼした。のみならず、平和使節團という旗じるしを掲げて滿洲まで進出した雛人形使節は文化ナショナリズムの有效な手段として活用されたことがわかる。