本稿は、沖縄の王府時代に編纂された『遺老説伝』のなかでも、竜宮の世界について語られたいわゆる竜宮説話について論じたものである。『遺老説伝』には、合わせて5話の竜宮説話が収録されているが、これらの竜宮説話には、沖縄人の他界観、人間界と竜宮との交渉の様相などがよく現れている。
日本には「浦島太郎」をはじめとして、「龍宮童子」、「龍宮女房」、「龍宮淵」など、数多くの竜宮説話が伝わっている。そして説話のなかの竜宮のイメージは、普通不老不死のユートピアとして描かれることが多い。この点においては、『遺老説伝』のなかの竜宮説話の場合も例外ではない。
本稿では、まず『遺老説伝』に語られた竜宮のイメージが、沖縄のニライカナイという他界観念と重なっている点に注目した。沖縄に伝わるニライカナイとは、人間の住む世界と対比的に認識された他界を意味する。このニライカナイについて語られている話が『遺老説伝』の第101話である。第101話には、稲福婆が体験した竜宮を指して「儀来河内(ニライカナイ)」と呼んでいるが、この稲福婆が体験したという竜宮旅行について、エリアデが指摘した脱魂(エクスタシ-)の概念を持って解釈を試みた。すなわち101話のなかの稲福婆の竜宮旅行とは、シャ-マニズムにおける脱魂(エクスタシ-)にたとえられる体験であったと見ることができる。
説話の世界においては、人間界と竜宮とのあいだに様々な交渉が行なわれるが、そのなかでも婚姻を媒介とした交渉がもっとも重要であると言えよう。この点については、『遺老説伝』のなかの合わせて5話の竜宮説話を対象にして検討した。また人間界と竜宮とのあいだに婚姻が結ばれる場合には、普通竜宮のほうから人間界の主人公に呪物が与えられるが、『遺老説伝』の第72話に述べられた「布袋」を取り上げて、説話における呪物の問題について明らかにした。
東アジアの説話には、竜宮について語られた説話がかなり多い。竜宮という他界は仏教の法華経と密接にかかわっている。これから東アジアにおける仏教と竜宮説話という視点から論を広げていきたい。