本稿は数多くの議論を巻き起こしていた村上春樹のエルサレム賞受賞式典でのスピーチ、「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」の意味している象徴性を通して作品『1Q84』の分析を試みしようと目論んでいる。
『1Q84』は春樹のエルサレム賞でのスピーチの延長上に位置づけられている作品である限り、スピーチでのメタファーである「壁と卵」の意味している「システムと個人」に対しての問題意識を持たされている。本稿ではそのような二項対立的な作品の構造に基づき、個人として造形されている男女主人公、天吾と青豆を春樹の自己化されている人物であることを明らかにした。それから、彼らの反対側、すなわち固定されているシステムとして、父親と切り替えられている母親としての老婦人が存在していることを探ってみた。
システム化している現代社会、原理主義の力が強まっている現時点で、本作品は何よりも個人の個性を明らかにすること、すなわち「個が持つ魂の尊厳を表に引き上げ、そこに光を当てること」が物語の目的であると話していた春樹の言説を裏付けている作品であることがわかった。