大正教養主義は日本の近代文学の形成と展開に極めて大きく関わっているといえる。その教養主義の基盤としてあげられるのが近代の修養主義である。本稿では修養主義の代表的な人物である新渡戸稲造の修養について考えてみる。教養主義の発祥地ともいえる一高の校長でもあった新渡戸稲造は、実用主義に基づいた修養観を表している。
どころで、ここで注目しなければならないのは、新渡戸の思想の下敷として考えられる武士道なる理念である。彼の『修養』には、克己を中心として想像力豊かな生活を禁止し、平凡で着実な<国民>養成の試みが読める。それへの評価と共に武士道なるイデオロギ-にも注意を払いたい。
凡才の克己というような修養主義が、学歴エリートたちによる高級文化化して行くプロセスの中で、新渡戸稲造は自己開発を積むことで国家主義へ繋げる偽の<教養人>の役割に甘んじたのではないか、といえよう。