本稿では、朝鮮女人であるおたあ·ジュリアを媒体にして日本の神津島で毎年5月行われている「ジュリア祭」について考察した。「ジュリア祭」は、1970年神津島の住民によっておたあ·ジュリアに対する民間信仰と歴史的な史実に基づいて作られた祭である。現在まで続けられている。ジュリア祭は、おたあ·ジュリア顕彰会によって準備され、ミサ典礼をしはじめ韓·日友好親善芸能を通して多様な文化交流が行われる。なお、おたあ·ジュリアを偲ぶ行事も実施される。韓国からもジュリア祭に1971年から参加し、韓·日宗教文化交流が活発に行われてきた。2002年以後、おたあ·ジュリアが神津島で殉教しなかったという史料が発見され、韓国からの参加者は減っているが、まだ、彼女がどこで死亡したかの史料は見つかってないので祭は続けられている。もし、ジュリアが他の地域で死亡したとしても、神津島では祭が続けられると思われる。なぜなら、治癒者としての民間信仰と彼女の遺徳をしのぶ行事として祭が行われているからである。そして、ジュリア祭は、朝鮮女人であるおたあ·ジュリアが中心になっているが、西洋のカトリックのミサを中心に行われているので、各国の多様な人々が祭りに参加している。祭の場である神津島は、東洋と西洋の方々も参加しているので、東洋と西洋の交流と和合の場になる。祭の中心になっているおたあ·ジュリアは韓·日だけではなく、東洋と西洋の文化交流の架け橋の役割を果たしているのである。