川端康成の『雪国』は、昭和十年から昭和二十三年(一九三五年∼一九四八年)、約十四年もの歳月をかけて書き継がれ雑誌に分載された。まず七回にわたる断続掲載を経て、初版(戦前版)が刊行され、その後も続きが四回にわたり断続的に掲載された。そしてそのすべてをまとめて改版(戦後版)が刊行されるにいたった。このような約十四年間にわたる『雪国』の生成の過程は、川端文学研究において、いかに理解されるべきものであろうか。作者は、戦前版『雪国』に託したものを、戦後版『雪国』の刊行に向けて、どのように変化させ何を目指したのだろうか。初の統合による「旧」の『雪国』と、二度目の統合による「新」の『雪国』にはそれぞれどのような世界が広がっているのであろうか。本稿は、約十四年間書き継がれた『雪国』の本文形成のプロセスや、その生成過程の意味を考察する前提として、『雪国』の成立をめぐって作者自身が言及した言葉の推移に注目する。作者が自ら発した文章には、成立をめぐる問題の多くが隠されており、それが何を示唆しているかを考えるべきである。また、これまでの研究において見落とされていた部分を踏まえつつ、『雪国』はいかに作られ、同時代にどのように成り立ち得たのか、について考察する。同時代の文学として『雪国』の生成過程を捉えなおすことで、従来の偏った受容を越え再評価の契機にしていきたい。