宮本百合子文学はフェミニズム思想とプロレタリア運動という、二つの大きな主題系に沿って研究されてきている。これは一面正しいとも言えるが、百合子文学を捉える上に、時たま自由な思考を抑圧しかねない側面をも持っていると思う。この論で取り上げた百合子のアメリカ観とは、研究者の間では、プロレタリア作家として主にソビエトにだけ注目してきたためあまり関心を引かなかった主題であろう。
勿論、百合子文学の外国に纏わる言説の殆んどが、ソビエトへの憧れに満ちたものであり、彼女が日本共産党のソビエト通として生きてきているとことに疑問の余地はない。しかし、彼女のソビエト向けの言説の評価はそれとして、如何にして百合子の外国観が外の作家たちとの差異を生んでいるか、ということに関してはまともに照明されてないままきていると言えよう。
この論においては、百合子のアメリカに対する否定的な姿勢について、作家の代表作と言われる『伸子』と、数は少ないがアメリカについての評論を対象に分析を加えてみた。国の意識や、功利性の強い男性的世界観とは大きく離れたところの、個人の意識の強い百合子のアメリカの捉え方には、なぜ彼女が資本主義の大国への反感を抱かざるを得なかったのかが読み取れるのである。