本稿では、日本語の「ト思う」と韓國語の「(라)고 생각하다」に關する比較分析を行った。「ト思う」と「(라)고 생각하다」は、それぞれ日本語學·韓國語學の領域において獨立して硏究されてきている傾向が强い。韓日對照硏究で本主題が注目されはじめたのは2000年代以降である。代表的なものとして、「ト思う」に對應する韓國語の飜譯例が「(라)고 생각하다」の他にも數多くあることを調べた鄭夏準(2006)の硏究、「ト思う」と「(라)고 생각하다」のモ一ダルな用法に相違があることをそれぞれ指摘した生越(2008)と李鳳(2008)の硏究があげられる。
ここでは、理論的なアプロ一チを取り、「ト思う」と「(라)고 생각하다」に關する類似点と相違について考察した。そして、Searle(1979)の發話行爲理論における發語內行爲の分類に基づいて「ト思う」と「(라)고 생각하다」を分析した結果、「ト思う」と「(라)고 생각하다」は、斷定型の發話內行爲と共起する共通点を持つことが明らかになった。また、指示型と拘束型の發語內行爲とは「ト思う」のみ共起し、「(라)고 생각하다」は共起しないことが解った。