本稿は、昭和期(1930~1980)に流行った演歌の歌詞の地名に焦点をあてた硏究である。この時期の演歌曲の歌詞には近代以後、變化していく日本社會と日本人の情緖がよく表れている。特にその內容は庶民の戀と別れの世界を描いていて、近代日本人の感情を表したのは勿論當時の現實を表現している。特に歌詞に登場する地名の考察は、大衆文化を創出した空間として大きい意味があり、必要な硏究といえよう。
昭和期のヒット演歌1969曲の內容を調べてみると、地名が入った曲は1930年代發表された曲が38曲、1940年代33曲、1950年代108曲、1960年代133曲、1970年代64曲など總400/1969曲であった。國內の地名が入った曲は357曲で、國外の地名が入ったのは43曲であった。
地名の調査してみると、國內地名の中で一番多かったのは東京である。それは大都市を中心とした人口密集と文化創出の發信地だったからであろう。また、1940年代は戰時下のもとで大陸への關心と政策によって中國の地名が多く登場するのも特徵である。
流行語としては「ブル一ス」、「~女」、「娘」などである。「ブル一ス」は音樂のジャンルとして流行った1950年代より早い1930年代から使ったことが分かった。又、「~女」はおもに遊郭などで動く女性を主人公として男に棄てられた女の悲しさなどを描いている。そして、「娘」は男性を話者として愛愛しい處女の姿を歌っていたことが把握できた。
本硏究を通じて、地名が登場する演歌の曲は大體地域の特性を表す鄕土の曲であり、その地域を廣報するために利用された。歌詞は愛で惱む受動的な女性を地域を舞台に描いている。それと、當代の時事問題を題材にして大衆の哀歡を歌ったり、流行語を使ったりして、當代の流行語などを含め大衆の文化を創出していく文化の媒體としての役割を忠實に果たしていたことを分かった。