傳統的に貴族の間で行われた隱遁は現實から脫し、現實とは違う世界を目指すという意味がある。本硏究は韓國と日本の16、17世紀の詩人である松江鄭澈(1536~1593)と松尾芭蕉(1644~1694)の作品を分析、考察して隱遁の狀況を見てその樣相と意味を明らかにすることを目的としている。
松江は朝鮮中期の牧民官詩人である。政治の現實に對する反抗で4回の隱遁の生活をし、隱遁の時期に詩人として稱えられた多くの作品を創作した。芭蕉は專業詩人として俳諧を向けた3回の隱遁の生活をしながら自分の俳諧のための文學旅行を試みて蕉風俳諧を確立した。兩人は積極的な隱遁を追求したところ、その隱遁の性格を松江は現實の政治にいくための待ちの隱遁としたら、芭蕉は自分の俳諧を向けた風雅の隱遁といえる。
結局、お互いに違った狀況の中で隱遁の生活を追求した松江と芭蕉は隱遁の動機は異なるが、自然の中で文學の人生を生きたというのは共通である。これは16、17世紀の韓國と日本の隱遁の詩人だと言えるだろう。