『明治天皇と日露大戰爭』は、戰後日本の象徵天皇制を大衆社會の文化的·精神的な消費記號として再認識させた作品である。日本の大衆は、視覺化された明治天皇像を通して描かれる日露戰爭の勝利の歷史を「成功した近代」として受け止めることで、敗戰の屈辱感の憂さ晴らしをはかり、明治への鄕愁を搔き立てていた。
本硏究では、このような戰後日本社會における天皇制の文化的な存在への變容過程と明治幻想との關連性に注目し、『明治天皇と日露大戰爭』を取り卷く社會·文化的な狀況の分析を試みた。『明治天皇と日露大戰爭』で表象される天皇のイメ一ジは、苦惱する人間的な君主の姿で、昭和天皇の「人間宣言」以後、宮內廳でメディアを通して流布しようとしていた「人間天皇像」と槪ね重なっており、國民主權を揭げた戰後日本の大衆社會への移行とも連動している。慈愛の存在として描かれる苦惱する天皇像と日露戰爭の勝利の歷史は、大衆文化裝置によって國民統合の文化的な記號に變容し、明治期を原点とする近代歷史認識の視点の再構築につながっていったのである。しかし、このような大衆社會の文化的な消費記號化された天皇像は、近代日本の植民侵略と戰爭責任を消去した「成功した近代」という言說にすぎないと言えよう。