本硏究では日帝强占初期に朝鮮總督部で編纂になって初等學生用の‘朝鮮語敎科書'である『訂正普通學校學徒用朝鮮語讀本』(1911)(以下『朝鮮語讀本』)と'日本語敎科書'である『訂正普通學校學徒用國語讀本』(1911)(以下『國語讀本』)に地理的'部分を分析することにより、日帝が植民地人の創出の手段としてそれぞれの敎科書でどうアプロ一チしようとしたのかを考察しようとする。『朝鮮語讀本』と『國語讀本』は樣タな敎科の內容が包含された綜合敎科書といわる。特に、朝鮮と日本の地理と山水、地形的特性の內容が收錄されて'地誌'と同樣の役割をしていた。
『朝鮮語讀本』では、朝鮮の象徵としては、<券4>から<券7>まで、日本の象徵部分では、<券2>から<券8>まですべて課にわたって出ている。『國語讀本』では、朝鮮を象徵するものが<券3>から<券6>まで出ているが、日本を中心的に說明するために朝鮮を補助的としたものに過ぎない。日本を象徵する部分が<券3>から<券8>に出ているのに高學年の對象として地理敎育になったことが知られる。
揷繪の部分には『朝鮮語讀本』では<券4>から<券8>まで萬遍無なく出ており、日本を示す部分は<券8>に集中的であった。<券5>に地理の內容と揷畵中心となったのは當時の4年制で3學年に短縮した學校が多いからだ。
『朝鮮語讀本』と『國語讀本』で、京城は朝鮮總督府がいる所というのは一致した。
『國語讀本』では、日本では7番目の都市に過ぎないことを話した。二つの敎科書では日本中心に世界史に關する內容も入っていた。特に淸國で國名が變わった支那に對する言及が多かったが、惡いイメ一ジをしきりに刻印させようとする姿が見えた。