本稿は、「迷信」と「文化」の分岐点として「社會性」の有無に注目し、部落祭と巫俗の歷史を言說の次元から明らかにすることを目的とする。迷信という槪念は非常に曖昧であり、これを學術的に用いることはできない。しかし、韓國の近現代史において迷信槪念が行使してきた影響力を踏まえる際、迷信としてどのような對象が問題視され、そしてこの槪念が如何なる論理によって用いられてきたのかを考察することには意味があると考えられる。
本稿で特に注目するのは、1945年の解放以降、韓國で傳統文化、民俗文化への關心が高まることによって、それまで迷信として批判されてきた對象が文化として認められるようになったという点である。新聞などの言說に目を向けると、迷信と文化を分かつ一次的な違いは社會性の有無にあった。すなわち、科學的な根據はなくとも、地域に秩序をもたらし、社會に寄與する要素があるものに限ってこれを文化と見なす視点が台頭したのである。反對に、社會性に欠けると判斷されたものは、依然として迷信槪念の範疇に留まったと見ることができる。
部落祭は、解放後の社會的狀況の中で文化の範疇に含められるようになった代表的な事例である。むろん、セマウル運動などの例外的な動きはあったが、民俗學者などの强烈な反對によって公式的な部落祭批判を控えるようになった國家の態度などから、解放後の韓國において部落祭を批判することは相當に難しくなったことが窺える。
他方、巫俗も解放後、舞踊や芸術的な要素が社會性の結實として肯定的に評價されることはあったが、巫俗には占いなどをはじめとして、個別的で閉鎖的な要素が見出される。そのため巫俗に關しては解放後も持續的にこれを迷信とみる視点が作用し、この点が部落祭と巫俗、ひいては迷信と巫俗の分岐点になったと言えるだろう。
本稿は迷信槪念の問題点を指摘し、言說を中心に迷信槪念の標的の變化を示したという点で意義を持つだろう。また、言說に留まるものではあるが、部落祭と巫俗への視点の變化も提示できたと考える。他方、迷信と文化の分岐点として社會性の有無を中心に考察を行ったが、「宗敎」槪念との關連など、本稿では扱えなかった課題も多い。また、對象時期を植民地時代から1980年代までに限った点、迷信槪念との關連で部落祭と巫俗のみを扱った点など、限定された範圍で考察を行ったため、硏究の時期と對象を廣げていくことも課題として殘っている。