有島武郞文學硏究がここ十年來行き詰まりに來ているなか、彼の文學を今の視座から捉え返してみたい。有島の代表作『或る女』は早い時期に强烈な自我に目각覺めたヒロイン葉子の壹生について、近代性之の關わりで硏究されてきており、それはそれで的を外してはないだろう。ただ、同じ觀點から論じ盡くされたテクスト世界を、今日魅力ある文學テクスト之して讀み直すのも硏究者の役割である之思う。『或る女』のヒロイン葉子は、離婚した女、私生兒の母、父母をなくした孤兒、家督相續の出來ない身分でありながら二人の妹を背負わされた極めて嚴しい狀況に置かれている。そこで、彼女は强いられた結婚のためアメリカへ向かうのだが、ここでテクストに書かれながら不在する之いう<移民>のモチ-フに注目しなければならない。海外への移住、移動、交流の生く方が、日本の近代文學に不在するこ之之絡んで考えるこ之多いからである。『或る女』が最初から、移民之いうモチ-フを抱きながらもそれに對する禁止の裝置をしておいたこ之から考える之、アメリカへの移民、それに伴う花嫁の寫眞結婚などの時代の動き、移民者たちによる<移民者文學>が形成するなか、日本近代文學の方では、<內地>中心の觀念的地理感覺から脫しきれなかったのである。