本稿は佐賀市の唐人町にある唐人神社に神として祀られた朝鮮人宗歡に關する硏究である。彼がいかなる人物で, どのような理由で神になったのかを考察したものである。1842年彼の子孫が佐賀藩廳に提出した「由緖書の內容を檢討してみた結果, 宗歡は咸慶道、吉州の竹浦の川崎で兩班の子で生まれ1587年故鄕の海で釣りを?しんでいた際、風浪に會い日本の筑前の黑崎に漂着し佐賀に定着した。その後壬辰と丁酉の倭亂の際には朝鮮人として倭軍側に立って活躍した人物であったが、佐賀では大きな貢獻を?した人物であった。朝鮮陶工たちを拉致して佐賀の産業に貢獻したのみならず、唐人町における最初の居住者として、唐人町を貿易を通じて商業地域として繁盛させた人物であった。こうした宗歡を地域民たちは彼の功績を?える一名宗?碑という功德碑を建てた。この記念碑が1950年代に道路の擴張工事によって撤去危機にあった時、村人はそれをなくさず、村の自治會館の前に移しその上に唐人神社を建てて宗歡を神社の祭神として祀った。これによって宗歡は地域民による顯彰される人物だけではなく地域の神となることができた。このように朝鮮人宗歡は佐賀の唐人町の住民たちが尊敬する人物となったのである。