18.97.14.84
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Candidate
「轉換点」の正當性をめぐって -村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』試論-
大澤聰
일본연구 vol. 8 189-207(19pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-002982528

本稿は村上春樹(1949- )の小說『ねじまき鳥クロニクル』(1994~95)のテクスト構造を分析することに主な目的が設定されている。從來、當該小說は、村上作品におけるある種の「轉換点」として位置づけ評價されてきた。己れは、作品が社會に對して有する性質を表現した"「デタッチメント」から「コ平ットメント」への移行"という村上自身の自己規定に由來するものでもある。當該小說を以って、村上春樹の作品は社會·他者に向き合うようになったと見なされる傾向にある。しかしながら、村上によるこの規定を括弧入れし、テクストの構造と己れが提起された時代情況のみを分析の對象とするならば、必ずしも己うとはいえないことが予想される。己こで本稿では、(1)テクストの提起された1990年代の日本の言論空間の變化と、(2)村上春樹のテクストの構造における變容とを明らかにし、この2点の不/交差を捉えかえすことを정子として、「轉換点」評價が孕む誤謬の指摘を試みている。1990年代に日本の言論空間に起きた他者と向き合おうとする「歷史認識」をめぐる議論の浮上と、やはり同樣に90年代に起きた村上作品における他者や歷史·社會の組み入みといった變容とは、一見幷行性を示しているかに思われる。しかしながら、本稿の分析によれば、個別のエピソ―ドとして他者と社會へ多元的にひらかれたかのように見える物語構造は、己れまでの村上春樹のテクストの質を大きく轉轍する可能性を包藏していたものの、最終的には總體として紋切型の自己円環的な構造に、見かけの他者性·多聲性は回收されてしまっていることが明らかである。本稿は、己こにテクストとしての『ねじまき鳥クロニクル』の限界点が胚胎していると判斷することにより、當該テクストに「轉換点」を積極的に見出すことはできないと結論するものである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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