18.97.14.91
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イデオロギ―と希望 -天理敎の三敎會同-
김태훈
일본연구 vol. 14 439-467(29pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-002842941

本硏究は、1912年に內務省の計畵によって、日露戰後の國民精神統合を圖るべく推進された三敎會同政策と、それに對應して行われた天理敎の講習會、講演會を分析する。それによって、近代天皇制イデオロギ―がどのように民衆宗敎へ浸透していくのかを問う。支配的イデオロギ―と民衆の希望が接合されるプロセスを分析することで、そのプロセスのなかで産み出される言說の在り方を考察する。天理敎の三敎會同活動では、地方講演會という天理敎の公共空間を通じて、國家的で世界的宗敎という意識が信者一般に廣がり、ひのきしんの敎義槪念が國家と社會に對する犧牲的精神として浮上してきた。同時に、日本を根の國とし、外國を枝先きとする本家意識も、世界の宗敎をリ―ドすべき兄の宗敎としての天理敎、という使命感とともに成立することとなった。天理敎者たちの世界救濟、世界平和への希望は、宗敎を國民敎化政策に動員しようとする政府側の戰略に積極的に協力する形で、天皇制イデオロギ―にコミットする回路=公共空間を自らの信仰生活の內部に作り上げた。彼らの希望が天皇制イデオロギ―形成に果たした役割とは、日本建國の大理想を實現すべき万世一系の子孫である天皇、というイデオロギ―を、日本國と日本民族を超える、世界を平和へ導く神としての天皇、という天皇の神聖性を自明化するイデオロギ―へと轉回させることに、決定的に寄與したことである。戰前の宗敎敎團が國家イデオロギ―に密着していたことに對して、戰後において、それは國家による强力な抑壓があったにせよ、宗敎本來の普遍性から國家主義を乘り越えることができず、宗敎本來の眞正さを曲折することであったとする反省の姿勢はいかがなものだろうか。ないしは、戰前の宗敎者のなかでは、純粹な宗敎的精神をもって國家に對抗していた者、あるいは、國家的イデオロギ―に關わることなく、眞正な宗敎者の道を步み續けた人びとも、まれではあるがいたのであり、そういう事例を探し續ける作業もそれなりの意味はあるだろう。しかし、そのまえにまず、宗敎の普遍性·普遍主義といったものが、國家に投影された信仰的期待と希望によって歷史的にあらわれたものでもあるという絶望に立ち向かうこと、その苦の感覺を連帶の絆として覺悟しないかぎり、その普遍性·普遍主義の宣揚は、いつ、どこでも、他者を同化しようとする强烈な機制として作動するのである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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