本論文は、1990年代以降急激に强まっている日本のナショナリズムの高揚に對して日本現代文學者がいかなる役割を果たしており、いかに抵抗しているのか、また自分の政治的信念をいかに貫いているのかを考察したものである。この考察をとおして、日本のナショナリズムの高揚と右傾化に對して日本現代文學者が對應する諸相を明らかにすることで、1990年代以降の日本のナショナリズムに對する多面的考察はもちろん、日本內で1980年代以降その議論が薄くなった現實政治と文學の關係を把握しようとした。本論文ではまず1990年代以降日本におけるナショナリズムの高揚と右傾化の理由がどこにあるのか、その特徵は何なのかについて把握した。日本におけるナショナリズムの高揚は、社會主義の崩壞による冷戰の終結、灣岸戰爭をきっかけとする國際貢獻論と憲法改正の必要性の台頭などといった、國際的狀況の急激な變化に對應する過程で觸發されたと言える。そのような狀況が1990年代のいわゆる「失われた十年」として象徵される經濟の不況によって擴大されたといえる。このような議論に基づき、次にはこのナショナリズムの高揚と右傾化に對して日本の現代作家はいかに對應したのかをノベル賞受賞作家の大江健三郞と『太陽の季節』の作家である石原眞太郞を中心に考察した。いわゆる戰後民主主義者を自負する大江健三郞の場合はひたすら戰前の天皇性を批判し、日本帝國主義を合理化しようとする一體の動きに對しても批判的スタンスを取っている。大江健三郞が日本におけるナショナリズムの高揚と右傾化に抵抗しようとした際、その土台となったのが日本の戰爭責任という歷史的認識を强調するため制定された平和憲法および戰後民主主義の精神である。そして、彼が右傾化に對應する方法とは、市民たちの積極的參加を呼び起こす市民連帶であった。また、本論文では大江健三郞がアジアにおけるナショナリズムを乘り越える方法として東アジアの文化共同體を提示していることを明らかにしている。一方、人氣小說家、映畵俳優、映畵監督、國會議員、東京都知事など樣樣な經歷の持ち主である石原愼太郞は大江健三郞とは異なり日本の右傾化の動きを積極的に推し進める立場に立っていた。彼は過去日本の植民地主義を美化し燐國のマイナス的イメ―ジを强調する。ところで、このような石原の認識は過去帝國主義者のイデオロギ―を共有する見方であり、ひいてはいつも强い日本を主張する彼の論調と相まって排外主義を助長させることである。特に、石原がこのような右翼的態度にもかかわらず、日本で大衆的人氣を維持しているのは1990年代の經濟的不況による時代的雰圍氣と密接な關係があることも考察した。