『遺老說傳』は,琉球王權の編んだ正史『球陽』(一七四五)の外傳として生まれた琉球最古の,また唯一の說話集である.本來は,『球陽』に採用されるべくして集められた話が,正史には載せられずに說話集として獨立したのには,それなりの深い事情と理由があった.編纂者の鄭秉哲は,冷徹な歷史家の目と學識をもって一つ一つの說話を取捨選擇したのである.本論は『遺老說傳』の第七三話,久高島の外間家に傳えられていた話がどのような理由で正史に載せられなかったのか,そして『遺老說傳』の中に組みこまれる理由はなんだったのかを分析したものである.久高島は,琉球王權の第一の聖地であり,その意味では外間ノロの家との交涉も歷史的にあったのは確かであった.そういう歷史的な現實と說話の敍述が,どのように重なり,どのように齟齬をきたしているのか,これを明らかにすることでこの第七三話の文學的な可能性が見えてくるはずである.それはまた『遺老說傳』のもっている全體像を照らし出し,このテキストの性格が明らかにすることにつながるであろう.