本論文では福澤諭吉の文明の槪念の特徵を『西洋事情外篇1』の「世の中の文明開化と『文明論之槪略』を中心にして考察してみた。その結果、福澤諭吉の文明の槪念は、第一、文明とは外的なもの、すなわち、社會の制度や法などではなく、各各の國民の精神的狀態、卽ち實用性を追求するかどうかによる、第二にその精神狀態はある一人の個人の精神狀態ではなく、ある國家、社會全體としての國民の氣風である、第三にその精神狀態は固定されているのではなく、文明の狀態を目指して絶えず變化していく相對的で流動的なものである、という特徵があることが明らかになった。上記のような特徵は福澤が自分の文明論を展開するにおいて、原典としていたギゾ―の文明槪念が社會的狀態と人間の精神狀態という、二つの要素に基づいているに對して、人間の精神狀態を重視することによって、文明を主觀的、恣意的に捉える可能性を含むようになる。實際に福澤は『文明論之槪略』の中で、アジア各國を「半開」と分類しながらも、日本はその「半開」の國家のなかで相對的に「文明開化」であることを强調している。このような論理が可能なのは彼の文明の槪念が相對的、主觀的、恣意的性格を持っているからであると思える。卽ち福澤はギゾ―の文明槪念を飜譯紹介する過程で、「半開」のアジアから「相對的に文明」の國として日本を區別したのである。さらに、その區別法は諭吉濬をはじめとする韓國の開化派によってそのまま韓國にも紹介され、韓國社會を規定する言葉となる。以後、その言葉はアジアを規定する用語として流布·定着して、アジア人の主體形成に影響し、さらには植民支配の正當化にも利用されるようになったと思われる。