田村俊子の『彼女の生活』は「非常に現實感」があり、「在來の女と異なる生活を實行する强い力」があるというかなり好意的な評價と、「主張と說明ばかり多く、冗漫する」と否定的な評價に分れていたが、あまり觸れられてこなかった。しかし、1980年以降、女性の自立とセクシュアリティをいきいきと描いた先驅的な存在としてジェンダ―の觀点から再評價されている。特に長谷川啓は、結婚制度における性差のしくみを描く作品としてはほとんど「バイブル」という評價をしている。 上記の論をふまえながら本稿では、新女性の優子と新男性の新田の結婚を通じて、一般的な男女の結婚生活と異なる点を考察した。良妻賢母を望ましい女性像と見る不公平な結婚を固く拒否した優子は、新田の切實な求婚で結婚をする。しかし優子は當初夢見た結婚生活とはあまりに違う現實に挫折しながらも、賢明に對處しようと努力する。一方新田は結婚後、少しは家父長的な因習によらない進んだ姿を見せるが、結局社會という巨大な波に流され、次第に舊來の理想的な妻を好むようになる矛盾を見せる。 この作品を通じて、二人の結婚に對する考え方は、充分に先進化されているが、社會の中でその構成員として生きて行くためには、まだ二人の力が不十分だったということが分かる。田村俊子は優子を通じて、社會からの抑壓を「愛」という名分で昇華させて忍耐しながら乘り越えて行く一見賢明に見えて、しかし因習で自由になることができない女性の姿を描き、自分の仕事をするためには「必然の運命」を開拓して行く覺悟と勇氣、智慧が必要だという强いメッセ―ジを標榜している。