『청령日記』を始發に成立した平安朝女流日記は、作者の固有の精神に根ざしており、それぞれ特異性を發揮し、一つ一つが自立している。作品を强力に支えているものは、書き記すことによって表出しないではいられない情緖、いわば、韓國人にとって誰しも胸の中に一つくらい抱いているといわれる「恨, ハン」の情緖に近いものではないかと思われる。平安女性が韓國の「恨, ハン」という言葉を知っていたはずもなく、時代的背景や空間的距離など、日本人に「恨」という情緖を言ってどれだけ通じるかという恐れはあるが、本稿では、道綱母をして『청령日記』という作品成立にまで至らせた彼女の悲哀感を單なる「嘆き」とは異る韓國人の「恨」の情緖に近いものとして讀んでみたい。そこで『청령日記』に描かれている道綱母の不幸を「兼家の愛情」や「子供」「正室」への「恨」として捉え、それに對立する場面や物詣の自然觀照を通して苦惱を克服していく作者の姿を천ってみたのである。なお、『청령日記』を女性文學として見るとき、社會性が乏しく、男性中心的社會制度に對する疑問や結婚制度に對しての反發などは見られないが、夫兼家に對する反發や抵抗意識は、當時の女性像としては想像を絶するもので、一見、そのような激しい個性は、一般的な「恨」という槪念から考えると「恨」の情緖に對立する側面があるが、その個性のつよさこそ、不幸な結婚生活の體驗を書く原動力になり、文學的人生に昇華させる根源となったと考えられる。