18.97.14.87
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Candidate
助動詞「れる·られる」の意味分類再考
하경훈
일본근대학연구 vol. 15 99-115(17pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-002992531

助動詞「れる·られる」には4つの意味、つまり受身·可能·尊敬·自發の意味があるが、今までの硏究を見ると文に現れる助動詞「れる·られる」一つに對しては一つの意味しか賦與していない。そのため時には解釋において曖昧な場合が生じるケ―スが多いことも事實であり、そのような場合解釋が難しくなるため「曖昧」な表現として扱うのが常である。事實、助動詞「れる·られる」は4つの意味を有しているため「曖昧」な場合がないわけではない。本稿では「曖昧」とされる部分の中で、できるだけ「曖昧」ということばを使わず、意味を分類することを目標とする。たとえば、次のような會話が考えられる。先生:「そこには私も行けるかね。」 學生:「もちろんいらっしゃれます。」 この場合、「行く」の尊敬語として「いらっしゃる」が用いられ、それに續いて可能の意味を表わすため可能動詞が使われている。つまり尊敬語に可能形が接續した形となっている。次のような用例も考えられる。學生:「先生、今日の夕方ご都合はいかがですか。實は今日の夕方、ホテルでパ―ティ―が開かれますがいかがですか。」 先生:「そこは私も行ける所ですかね。」 學生:「もちろん先生さえ宜しければ行かれますとも。」 學生の會話文に見られる助動詞「れる」の用例に對して從來行われている意味解釋では可能として扱われるのが普通であるが、そうした場合果たして可能の意味だけでいいのであろうか。この會話文を見ると先生と學生の間に交わされている話は全體を通して學生が先生に對して尊敬語を用いていると考えられる。ところが可能だけの意味で解釋するとこの會話で「行かれます」の部分だけが尊敬語を用いないでいることになってしまう。なぜ可能を表わすときには尊敬の意味が消えてしまうのか。本稿ではその原因を探りながら從來の意味分類の問題點を示した後、いまだ觸れていない新しい助動詞「れる·られる」の意味分類を試みる。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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