『和泉式部日記』は、女, 和泉式部と宮, 敦道親王との戀の十ヶ月にわたる經過を述べたものである。二人の戀はどういうものであったのか。それを描いた日記全編の基底にあるものは、女を多情な浮氣女とする준の存在である。本稿では、この日記の中で女の世評について言及している記事を中心に女と宮との戀のカタチについて考えてみた。その結果として、とりあげられるのは、女にとって帥宮との戀は、元戀人の弟との「ゆかりの戀」、「年下の戀」、中流階級の人妻と親王という身分不釣合の「しのびの戀」、それゆえに出會いから宮邸に入っても「もの思ふ戀」であった。また二人の戀愛は、多情女としての준のある「すきずきし」女と「古めかし」男との「うたがう」「うたがわれる」愛情と不信の往復運動による、一見、준に影響されていく戀のカタチではあるが、このような男女の戀は當時平安時代の男性中心的社會下では、男が女にしがみつくような畵期的な戀のカタチとして認めたい。なお、和泉式部は宮邸に入り、召使にはなっているが、當時としては帥宮と理想的な戀をしており、愛の勝利者である同時に、和歌を通して平等に男性と戀を語り合えた女性として時代的先驅をなしたと思われる。執筆時から考えると、日記に流れる彼女の孤獨の原点は、帥宮の死去にあるのではなく、戀に生きるしかなかった彼女の「戀する女」としての運命ではなかったのかと思われる。