この論文では、日本社會の右傾化の雰圍氣に便秉して復活の兆しが濃厚な「大東亞戰爭」論をめぐる議論を檢討する。まず、日本の敗戰後、侵略戰爭をめぐる歷史の用語がどのように使用されており、各用語が持つ意味は何かを考察する。そして今、「大東亞戰爭」論が突出されている背景として、日本社會の戰爭をめぐる議論の特質は何であり、それが敎科書に具體的にどのように記述されているか調べる。正しい歷史用語の使用は、戰後世代の日本人の韓國認識と過去の侵略戰爭に對する責任の論理を測る重要な現實的な物差である。この問題を点檢することで、日本がアジアに對する戰爭責任と戰後補償は度外視して、自國の利益と新たなアイデンティティの確立に沒頭するようになった社會的文脈のもとを發見できるだろう。日本とドイツの戰後史は、多くの共通點をあらわしながら展開された。敗戰、戰犯を處斷するための國際軍事裁判、荒廢と混亂のなかで成し遂げた經濟復興、そして高度經濟成長、さらに經濟大國から政治大國への發展などほぼ同じ道を步んでいる。しかし、侵略された周邊の諸國に對する謝罪と補償など「過去の克服」においては大きな相違点が見られる。日本とドイツの「過去史」をめぐる記憶は、きわめて對照的である。現在、日本の戰爭責任や戰後補償が國內外で大きな問題になっているのは、兩者の課題が不可分であることの表れである。なぜ今日、戰後補償が問題になるのか、そして一方ではその問題に取り組む人人に對して「東京裁判史觀」というイデオロギ―的な攻擊がなされるのか、そうしたことを理解するかぎは戰後の日本政治の構造の中にあると考える。ここでは戰後日本政治のあり方を戰爭責任の視点から考えてみる。戰後補償の根幹は、日本が被害者個人の人權を侵害したことを認め、國家としての加害責任を明確にし、個人補償をおこなうことである。賠償協定によって國家間で賠償が決着濟だとしても、それによっては解決されていないことが認識されねばならない。そのことは國家を人權の上におくのではなく、人間の尊嚴を土台にして國家を超えた人間としての連帶を創り出すことである。その連帶こそが戰爭をなくし平和を實現するうえで不可欠である。戰後補償は、單に過去を精算することにとどまらず、むしろそれ以上にこれからの日本と日本人がアジアの人人とどのような人間關係を作るのか、その土台となるだろう。だからこそ六○年前の水準ではなく、今日の、いや將來のあるべき人權の水準にふさわしい解決策でなければならない。それを단うにふさわしい政治主體はどうあるべきか、戰後政治の積極面を繼承しながらそれを超えるものをどのように作っていくことができるのか、戰後六○年の今日、そのことが私たちの前に問われているのである。