18.97.14.85
18.97.14.85
close menu
Accredited
日本文學,日本學 篇 : 中世紀行文芸と歌枕 -鳴海の浦と鳴海潟を中心に-
이영경 ( Young Kyung Lee )
UCI I410-ECN-0102-2012-360-002379335

本考察は、鳴海の浦を取り上げ、鳴海の名所として認識された過程を천り、それが中世紀行文の『海道記』『東關紀行』『十六夜日記』に、いかに受容され離脫されているのかを探ることによって、それぞれの表現の特色を明らかにしたものである。平安中期から取り上げられた鳴海の浦は、その地名に「成る身」と「恨み」とが言い掛けられて、鳴海そのものより戀歌に多く詠まれていた。そして「いかになるみ」「はるかなるみ」のような表現が類型化されているが、そこに「ひさぎ」などのような景物も用いられ、より深まってきた。それが、院政期に入ると、私選集と歌合を中心に、類型された地名のことばによる戀歌から、その地を眞正面から詠もうとする趣向によって、潟に注目し、「あぢむら」や「たづ」などの景物を取り入れた海の風景が詠まれるようになった。そして、「千鳥」は、鳴海の主な景物として固定化された。このような、鳴海潟の風景への趣向は新古今時代により複雜に仕組まれる技巧的な表現になり、自然と人事、戀、世の中の無常などのような多樣なイメ―ジの持つ歌枕として形成された。中世時代の旅は歌枕の旅であると言っても過言ではないが、同じ歌枕の地であっても、當然でありながら個人の感性、知的基盤などによって表現の仕方は異ってくる。『海道記』は、鳴海の風景を語るに、難所、眺望、波の上の遊興、子蟹などに注目している。特に、誰にも取り上げなかった干潟の子蟹の動きから、生死に執着する人人の心に訴えたり、その表現においても、和歌の世界で好まれなかった反復表現が積極的に用いられている。これに對し『東關紀行』は、鳴海潟の風景そのものより、旅愁や都などを忍ばせる思いが語られ、歌枕は常に昔の「跡」を시ぶ地に他ならない。『十六夜日記』は、歌枕として類型化された表現が多く取り上げられ、阿佛尼の和歌の表現世界への指向が窺える。以上のように、歌枕鳴海の表現史と中世紀行文の敍述を천ることによって明らかになったのは、特に『海道記』の表現は規制された歌枕の世界とはかけ離れていることである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
×