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『청령일기(청령日記)』 연구 -「戀(사랑)」-
안정숙
일본어교육 vol. 56 269-280(12pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-550-002203885

「청령日記」は、作者道綱母が藤原兼家との二一年間にわたる結婚生活を描いた日記文學作品である。一夫多妻制の許された平安朝の男性中心的な社會において、夫に對し「三十日三十夜はわがもとに」を訴える道綱母の戀はどんなものであったのだろうか。本稿は、同時代の他の作品、「枕草子」「紫式部日記」「和泉式部日記」での「戀」の表現を調べた後、道綱母にとって最大の關心事であり、彼女が强烈に愛した夫兼家との關係を「戀」の表現を中心に考察してみたい。「청령日記」には「戀」の用例は一六例見られるが、そのうち、作者が兼家に對して「戀」の表現をするのは一例に過ぎない。彼女は、夫を亡くした人や配流された人の妻など、他人や代作で戀の表現を用いることができても、兼家に對して、戀情を率直に表現し訴えることはできなかった。作中で道綱母は相手を戀しく思いながらも、いつも相手を拒むことが多く、自分自身の心のうちを率直に訴えることをしなかった。「청령日記」の中で作者が兼家に對して「戀」の表現をしなかったり、わずか一例しか見られないことは何を意味するものだろうか。それは、作者が冒頭で「天下の人の、品高きやと、問はむためしにも」と記している結婚生活の眞相として、「청령日記」における戀の表現を通して考えられるのは、彼女の實人生は同じ時代の女性に比べて嘆いているほど不幸なものではなかったのではないだろうか。彼女が訴えているほど兼家との結婚生活が荒廢したものではなかったかもしれないし、もしも、作者が彼の不訪に對する怒りや鬱憤を率直に「戀」を表現し訴えられたら、「청령日記」という作品は生れなかったろうが、二人の關係はより円滿な夫婦關係を保つことができたのではないだろうか。もう一つ、道綱母が兼家を思いつつも、兼家に對し「戀」の表現をしなかったのは、それは兼家への思いが熱いほど、自分自身への愛、すなわち自意識が强すぎたからであろう。それが二人の戀のカタチなのである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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