萩原朔太郞の詩の世界で「かげ」は、とても獨特なイメ―ジを持った詩語である。「かげ」の詩情が形成されたのは『月に吠える』時代であるが、獨特の色合いを持った「かげ」のイメ―ジが展開されたのは『靑猫』時代である。また、晩年の『氷島』では朔太郞獨自の「かげ」の美學を確立するに至っている。朔太郞は『月に吠える』前期詩篇までは、表記の方法によって影と陰で意味を區分していた。これは日常的で一般的な日本語の使用法であると言えるだろう。しかし、『月に吠える』後期詩篇になると、<影>と<かげ>の意味の境界が無くなり、以前の「かげ」の使用法から遙かに進步し、詩的意味も增幅している。實在するものはすべて「かげ」を持つ。人間も同じく「かげ」と共に生まれ、一生を「かげ」と共にする。詩人が離れることのできない宿命の意味として「かげ」を詩語にした理由であろう。「かげ」は離れたくても離れることのできない詩人の宿命を象徵し、詩人の內部の心を象徵している。心の奧底の深いところに潛在している詩人の暗い內面をイメ―ジ化しているのである。「かげ」は詩人のかげ(影)であり、かげ(陰)でもあるのだ。このように影と陰の意味の境界がなくなり、詩的意味が增幅するところで、ようやく朔太郞詩だけの獨創的な詩的イメ―ジとして「かげ」生成されたのである。