透谷の戱曲や詩や小說には死という言葉が例外なく見られ、その多くは愛と死を主題としたものであると言うことができる。それにもかかわらず、今まで透谷文學における死の問題について作品を中心に總合的に硏究したものがほとんどなかった。本稿は透谷文學における死と生の問題を透谷の戱曲や詩や小說を總合的に分析することで明らかにしようとしたものである。透谷文學の代表作と言える戱曲『蓬萊曲』は、愛と死と生を描いている。愛のために死んだ主人公は、『蓬萊曲別篇』で愛によって蘇える。最後の詩は、松子と自分の死を告げたものであり、この世との別れを生に對する悲しみを吐露しながらつづったものであり、愛と死をテ―マとしている。それ以外の詩は、死を待つもの、死を決意するもの、死後、あの世からこの世を凝視するものなどである。もうこれ以上僞わりの世を生きることができない悲しみと苦しみをつづったものである。小說2編は悲戀による死と悲戀によって死ぬ男女の姿を描いたものであり、やはり愛と死をテ―マとしている。以上のように透谷文學の出發と言える戱曲では、死は愛によって復活し、死は生のためのものであったが、その後の詩や小說では、愛と死をテ―マとしているもののこの生という目標が失われている。