닫기
18.226.185.28
18.226.185.28
close menu
}
KCI 등재
모노가타리의 유리론 -박해와 도망의 심층-
민병훈
일본어문학 40권 79-98(20pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-000975363

物語における男の貴種流離の形は、大きく、罪によって追放されたり派遣されたりする場合と、兄弟の迫害によって逃亡したり避難したりする場合とに分けることができる。流離する對象が嫡子や長子ではないという点と、流離を通じて女の人に遭遇するというところは兩方とも類似するが、罪によって追放されたり派遣されたりする場合はその性格が亂暴であり、迫害によって逃亡したり避難したりする話の主人公は善良な性格の持ち主という点で相違が認められる。しかも、追放の場合は歸還とそれによる權力の掌握が伴われないが、迫害による避難には歸還が用意されており、迫害していた兄弟たちを制壓し、支配者になるという展開を見せている。また、女の役割にも相當の差異があるが、追放や派遣の場合と比べ、兄弟たちの迫害からつづく流離の場合、女は主人公の歸還を助けると同時に、支配權を占めるのに決定的な役割を果たすという点は克明な相違点といえよう。さらに、流離先で巡り會った女が男の本據に隨伴されるところも違いと言えば違うところである。それとともに、助力する女の父親の手助けや祝福も看過できない事象である。これに當てはまる代表的な話として、『古事記』の上卷の神代神話のなかの「オオクニヌシノカミ」と「ホオリノミコト」の話を擧げることができ、また、平安時代の日記文學の『更級日記』における「竹芝傳說」からも部分的に類型を見いだすことができる。ところが、『源氏物語』に踏襲されている流離の姿は、罪による追放と迫害による避難、兩方の類型が融合された形を呈し、神話のように明確な黑白の論理ではなく、あくまでも時代的背景と現實感を壞さない構成で再生産されていると思われる。いずれにせよ、迫害と逃亡の深層には、迫害する者の無慈悲と迫害を受ける者の善良さを明確に對應させて、同情を集め、流離のような試練を通じて支配者としての威嚴を兼ね備え、權力の掌握を正當化する論理が刻み입まれているのである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
×