本稿は、『沈默』に對する反響を取り上げ、作品が刊行されてから現在に至るまでどのように受容されているのかを、長崎の外海町を中心に考?してみた。『沈默』は最初にカトリック敎會で批判され受容されなかったが、第二バチカン公會議以後 キリスト敎文學として受容されるようになった。しかし、長崎では『沈默』が刊行された當時、作品に描かれる背敎した司祭像が問題となり、長崎と鹿兒島で禁書になったという說がある。しかし、『沈默』が長崎で禁書になったことはないという事實を、長崎の二六聖人記念館に勤めている結城神父へのインタビュ-を通して確認した。ただし、彼は作品に描かれている。司祭像については嚴しく批判している。それは敎會を象徵する存在としての司祭像が威嚴を喪失しているためである。『沈默』をめぐる反響の大きなものには、一九八七年に長崎の外海町に建てられた『沈默』の文學碑である『沈默の碑』にペンキがかけられた事件がある。地元住民の『沈默』に對する反發である。遠藤が『沈默』のなかで描いた背敎者の姿が、地元住民の祖先の名營を傷つけたことに起因する。沈默 という作品が刊行されて二○年を怪ても、このような反響が起きていることには、長崎の外海町の地域的な特性も合わせて考えられる。