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문학 일본학편 : 「 語らりふ人 ( 카타로우히토 ) 」 로서의 이즈미시키부 ( 화천식부 (和泉式部) )
Literature Japanology : Izumisikibu as a 「 Katarou-Hito 」
노선숙(Sun Sook Ro)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006473077

和泉式部は自分を規定する際, いくつかの自己規定の仕方を持っていた. たとえば, 『和泉式部日記』のなかでは自己を「われ」「わが」などの主觀的な自己規定と, 「女」「人」などの客觀的な自己規定で表現している. これらのうち, 特に「物思ふ人」「もとも心ふかからぬ人」というような自己規定は,理想的な $lt;他者$gt; である帥宮に對しての自己規定である. 一方『和泉式部集』のなかでは, 自分を「物思ふ人」「君が形見」「君に馴れにし我が身」などと規定している. このように和泉式部は, $lt;他者$gt; との關係性のうちに現前する自分の存在を第三者の傍觀的な態度で表わしており, そのうち特に「物思ふ人」としての姿が目立つ. しかし和泉式部には獨り自分の世界に閉じこもる 「物思ふ人」 としての姿とは異なる, 絶えず相手を意識し他者を求める「語らふ人」としての姿が內在する. それは家集における「語らふ」の用例の頻繁な使用と, 「語らふ」の前後にどういう關係の人であるかを示す述語の配置などの事細かな表現上の工夫, そして「語らふ」對象の多樣さからもいえよう. 和泉式部は「心の慰み」を得るべく, 絶えず「語らふ」對象を求め續けたのである. いつかは獨りになることを予感しながらも, つぎつぎと戀人や友人を作っていく彼女の姿から, 和泉式部の「語らふ人」としての面目が認められよう. さらに, 彼女が戀人との「語らふ」ことより, 友人との「語らふ」ことのほうをより大事にしたことが知らた. そして「語らふ女友達」に對しては, 自分を「いにしへを忘れぬ人」と規定しており, 斷絶された女友だちとの關係を取り戾すため, 積極的に對話のきっかけを作る和泉式部の行爲からも, 女友達との「語らふ」ことを切に頭う彼女の「語らふ人」としての姿が窺える. なお, 樣樣な「語らふ」の對象から, 和泉式部の戀愛模樣や友情觀がどのようなものであったかということが微かに見えてきた. 人目を忍んだ不倫もあれば, 異性の友だちや同性の友だちとの交流を通じて, 眞の意味の友情をも交わした和泉式部は, 樣樣な顔といくつかの引き出しをもったおとなの女性であり, このような彼女の幅廣い人間關係に基づいて和泉式部を「語らふ人」と規定することができよう.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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