三浦綾子における過去の體驗は, 神を信ずる前の世界と神を信じた後の世界に區別することができる. 卽ち, 神にそむいて自己中心的に生きた$lt;エゴイスティクな生の世界$gt;と懺悔した後の$lt;信仰と文學世界$gt;である. 本考では, 三浦綾子の自傳的小說でありデビュ-作の『氷点』を中心に, 彼女にとっての$lt;エゴイズム$gt;の意味をさぐってみた. その結果, 三浦綾子における過去の體驗は, 彼女の文學のモチ-フである$lt;エゴイズム$gt;を把握する上で, 重要な要素であることが明らかになった. 太平洋戰爭の後, 日本の軍國主義敎育の崩壞がもたらした, 價値觀の混亂と彼女のキリスト敎信仰がそれである. まず, 敎育現場の一線で, 自矜心を持って, 軍國主義敎育を實施した彼女にとって, 敗戰後, 民主主義敎育への轉換は混亂を招來し, 極度の虛無感と自暴自棄の狀態でおこなった二重婚約は, 「罪を罪として感じられなかった」自責の意識につながり, これが三浦文學の中で, $lt;エゴイスティク$gt;な要素として, 表現されているのである. 一方, 病床で, 前川正との再會によって, キリスト敎の信仰と接っするようになった三浦は, 死から生への轉換を遂げる, これは, 以後, 彼女の生と文學を支える重要な要素となり, 三浦文學における$lt;エゴイズム$gt;が, キリスト敎の$lt;原罪$gt;の思想を前提とし始まっているというのも, 結局, このような自己體驗によったからである. また, 三浦綾子における$lt;原罪$gt;というのは, $lt;神が中心でない自己中心$gt;を意味しており, この自己中心は, 卽ち$lt;エゴイズム)を意味するのである. 次に, 三浦のデビュ-作の『氷点」を中心に, $lt;原罪$gt;と$lt;エゴイズム$gt;の關聯性をさぐってみた. 三浦は『氷点』で啓造, 夏枝, 陽子を中心に, $lt;エゴイズム$gt;を浮刻させていく. 特に, 自分の意志に反して導き出される彼らの行動樣相は, 矛盾した狀況を演出する. このような, 矛盾と不條理に滿ちた狀況は, 登場人物らの$lt;エゴイズム$gt;と係わり, 作品を支配している. しかし, これは單純な$lt;エゴイズム$gt;の表出だけではなく, $lt;神が中心でない自己中心$gt;という觀点から出發し, この$lt;エゴイズム$gt;は, 人間が生まれながら持っている$lt;原罪$gt;という形で表現されているのである. 以上のような分析を通し, 日本近代の文學作家らは, 自己と對立する他人との關係の中で, $lt;エゴイズム$gt;を追求したといえるが, 三浦文學における$lt;エゴイズム$gt;は, 日本近代の文學作家らと異り, キリスト敎思想である$lt;原罪$gt;に根幹をなしていることが明らかになった.