釋敎歌は時代狀況の變化, 人人の生活や思考の變化などによってその內容と性格がしだいに變わっていった. 本稿はこのような變化の流れの中で表われた釋敎歌の樣樣な特徵を分析して, 文學と宗敎との交涉によって發生する相互間の葛藤と限界とを考察してみた. 『万葉集』に芽生えた釋敎歌はそれ以來發展して, 勅撰集に釋敎部が設けられ, その後, 確實な位置を占めていく. けれとも根本的に釋敎歌がもっている主題の限界を克服できなかった. その上, 狂言綺語觀, 數量·功德主義の流行につれて質の低下をもたらした. 歌人たちは文學性の回復のために, 漢語と佛敎用語使用の自制, 自然物に託する表現, 象徵性の追求などの勞力意志を見せたが, その限界を越えることはできなかった. つまり, 釋敎歌は文學と宗敎との結合における完全な調和を失敗して, どちらもの欲求もみたせなかったのである. 宗敎的には人人に $quot;救い$quot;と生死の恐怖克服への信念を與えられなかったし, 完全な文學約美の世界を築くことも失敗したのである. ただ釋敎歌はその時代狀況に復興して佛敎の盛行とともに發展して, 勅撰集においてそれなりの領域を占めるのに成功して, それを傳承していったことに意義があると考えられる.