自然主義文學は日本文學において客觀主義にもっとも徹底したものであるなどという言い方に, ねれねれはいつのまにかならされているのであるが, 花袋における實情は, 客觀性におとらず主觀性ということが, そういう形でつねに問題にされつづけて來たのだった. 洋の東西を問わずリアリズム文學における描寫とは, 對象をそれとは別の次元にいかに生生と再現するかという問題にかかわる. その場合, 再現された結果が對象にいかに忠實であるかという問題が客觀性の問題であり, 再現するさいの作者のはたらきはいかにあるべきかという問題が主觀性の問題である. 客觀, 主觀の二兩素がいかにかみあうかということは, 明治三十年代以來花袋文學を貫流する大きな問題であった. また花袋の「平面描寫」は, 世に考えられるほど外面的な客觀性を重んずるものではなく, 要するに「平面的」とは「假構を加えない」という程度の意味であって, むしろやはり花袋個人の主觀の比重がかなり大きいものであったことが見える. 素朴に觀念を信ずる傾向の案外に强かった花袋が, 平面描寫を主張するさいも, 自己の觀念的思いこみに自分自身がもっとも被害をうけたといえないだろうか. 少なくとも『田舍敎師』などの成功は, 平面描寫的考え方の適用によってもたらされたのではなく, 花袋平常の議論の裏切っている点によって逆にもたらされたといえる. にもかかわらず, やはり花袋は平面描寫にこだわらざるを得なかった. その必然はどこからくるのか. それは花袋が靑年時代に桂園派の「リアリスティク·テンデンシ-」について眼をひらかれた傳統的寫實主義の構造の上に西歐的リアリズム觀が移植されたことからすべて發生してま來たのであったと思われる. このような問題が, 實は花袋ひとりのものでなく, 當時の自然主義文學者たちに大なり小なり共通して存在していたものであった. だから, そういう意味でも, 『田舍敎師』は他ならぬ日本自然主義の代表的作品であったと言えるのである.