本稿は、近世前期以降の狂言資料における補助動詞「てくれる」「てやる」の幅廣く詳細な調査·分析を通じて、近世中期及び後期の狂言資料に見られる補助動詞「てくれる」「てやる」の變遷過程を考察することによって、授受表現體系の歷史的な體系變化の系口を解明したい。そこで、本稿は黃(2006)の延長線として近世中期と近世後期の狂言台本を對象に補助動詞「てくれる」「てやる」の用法を考察した結果、次のようなことが見られた。第一に、近世中期の『狂言記外』『續狂言記』『保敎本』『狂言記拾遺』『虎寬本』のような五つの狂言資料における補助動詞「てくれる」は、總639例の內69例(10.80%)がマイナス用法となり、內容的マイナス用法を含めると、總639例の內85例(13.30%)がマイナス用法となる。近世前期に比べて大きな差はないが、各流派による違いが見られる。鷺流と大藏流、版本狂言記の『續狂言記』『狂言記拾遺』においてはその違いが確然と見られ、マイナス用法の用例が目立っている。また文獻の差も明らかである。第二に、近世中期の補助動詞「てやる」は、『狂言記外』3例(17.65%)·『續狂言記』7例(10.94%)·『保敎本』12例(16.44%)·『狂言記拾遺』1例(2.94%)·『虎寬本』87例(35.22%)のように、マイナス用法の著しい增加が注目される。マイナス用法の上接動詞の種類の增加、特に『虎寬本』の增加がこの時代におけるマイナス用法の使い方が補助動詞「てくれる」から補助動詞「てやる」へ移ったことを物語る。補助動詞「てくれる」との關係において、各各の狂言資料の用法の變化が明らかに反映されていると思われる。第三に、近世後期の『賢通本』の補助動詞「てくれる」は、『保敎本』に比べてマイナス用法がやや增加し、上接動詞においても、『保敎本』よりは動詞の種類も多く、新しい表現も加わっているものの、他の狂言台本によく見られる「殺す」などのような動詞は見られない。また、補助動詞「てやる」の典型的なマイナス用法は、『保敎本』の段階とは代わって『賢通本』で全然その用法が見られないことが注目される。